五月

▽松本地方ではまだ〱テレビが普及して居ない。高価といふこともあるがよく写らないせゐもある。土曜日のNHKテレビのプロを見るとまんがくらぶといふのがあつて、宮尾しげをさんの名が見える。
▽私が宮尾さんと知つたのは昭和九年頃、江戸小咄に興味を覚えて居た縁からである。小ばなし研究といふ雑誌を出して居られた。私の子供ごゝろには宮尾しげをといふと、団子串助漫遊記を思ひ出し、西遊記が頭に浮ぶ。どれも子供漫画であつた。
▽戦争中、北陸の工場を慰問にゆく途次、浅間温泉に一泊されたことがあつたが、そのとき宮尾さんは細木原青起さん、永井保さんとご一緒だつた。小柳の湯であつた。丸山太郎君と連れ立つて、もうビールなど品不足の逼迫した頃だつたが無理をして持つて行つた。宮尾さんは甘党だから誰が飲んだつけ。
▽戦争がすんで間もない一月初旬、似顔画の会を設け宮尾さんを松本によんだことがある。予想外に申込者が多くて二日間では画き切れなかつた。一旦これをすまして下伊那の雪祭の画材のため出掛けたが、あとに残した似顔の画債を果さうと伊那から松本に再び来たところ、足が繃帯でいた〱しいほどなのには驚いた。
▽伊那の赤穂小学校で先生方に無理強ひされた酒の酔ひにフラ〱し、囲炉裏の中に足を突込んでしまつたのだといふ。帰りには汽車の乗降に大変混雑する頃だつたが、信州特有の漬物を樽詰に持つて行つて貰つた。