四月

▽昭和三十年度東大文科第一次試験問題に川柳に関するものが出されたとさうだ。入学試験や検定試験の問題に川柳が採り上げられたことは嘗て一度もなかつたといふのではない。そしてそれはいつでも古川柳であつた。といふ意味は古川柳が学問の対象になつてゐるからであらう。古川柳は兎も角目立たぬ国文学者や隠れた民間の研究者によつて開拓せられて来てゐる。
▽私の記憶では川柳の名は中学校四年生のとき芳賀矢一博士の国語読本の「古川柳」の項目で初めて知り、担任であつた教師が教科書掲載以外の歴史に関する数十句を類句として参考に教へてくれたことが、私に川柳の知識を植ゑつけた大きいきつかけとなつた。
東京女子大の古川久教授の話では卒業論文に川柳を採り上げた学生があつたさうである。それは恐らく古川柳であらう。私は昨年三重大の学生から卒業論文に「現代川柳の動向」を書きたいといふことで資料を提供してあげたが、此頃知つた信州大の学生は先づ作句してほんたうの川柳の本質に触れようと意気込んでをられるので、その熱意にほだされ私も慎重に指導してあげてゐる。
▽東大には「川柳雑俳の研究」の麻生磯次教授があり、また学習院大には近刊「川柳評解」をものせられた岩田九郎教授が健在である。古川柳も現代川柳も学問の対象として若い学生が尚一層興味と知識をうながされたらとこひねがふのは私ひとりだけではあるまい。