四月

 極彩色に印刷したように見せて実は印刷に彩色をほどこした手彩色絵葉書、明治のおんなの部類では単式とは別に色を添えたものを見かける。父が蒐めた画のなかのみんな気取った姿。浮輪を持った二人の海水着。大根を切っている笑顔。袴を履いて洋傘を差した学生やハンモックに戯むれる屈託なさ。花を持ち澄まし顔の芸妓。手風琴・ヴァイオリンを持つ娘。
 姉が蒐めた映画俳優のビックホード・ダンカンなどなつかしいブロマイド。
  君とわかれたその夜の月が
   かなしおぼろになみの上
 とあって、やさしそうな月と花の静かな風景。乙女心を誘うような歌詞の調べと絵のコンビ。
 私の父は二十歳のとき志願兵として騎兵を選んだ。アルバムに連隊長の閑院宮殿下の写真を貼ってあるが、明治二十七、八年戦役の台北城南門、東門と大福より淡水河畔を望むスナップ、台湾人の男女の揃った写真もある。芸妓は色彩の巧みな筆使いで可愛らしい。
 小森孝之編著「絵葉書−明治大正昭和」に載っている明治三十七八年陸軍凱旋、奉天城内、八将軍は父も大事にしてある。大山元帥以下の各将軍、金色型押し印刷。
 恤兵絵葉書は軍事慰問葉書だが従軍画家の手によるもので、そっと残し、当時郵送料一銭五厘
 兵隊友達でその後仲よくしたひとに日本画家の橋本邦雄と落語家の柳亭左楽。居間に横額「松」が飾られ、この外絹物に画いたものなど残す。父と上京したとき、いくつかの寄席をさがしたが生憎休演で柳亭左楽に会えなかった。
 田園社から出版した「風流落語お好み版」は花森安治の装丁でいとも瀟洒、昭和二十七年一月出版で、なかに落語家豆自伝の項があって、柳亭左楽の門下になって勢太郎から、梅楽に変わり、二つ目、枝太郎から春楽と改名して二十八歳で真打となる。日露戦争に従軍、帰還してから騎光亭芝楽と改名、軍隊の話でお客様から評判をとり、師匠死後五代目左楽となった云々。騎光亭芝楽とは騎兵を現すが、父と同期だったわけである。父は剛毅一筋道を行ったから、軍隊の話では登場した気がしてならぬ。