十月

 同人土田貞夫さんが九月二十九日に逝去された。行年七十九歳。惜しい人を喪い感無量である。謹んで哀悼の意を献げる。
 戦争の終わったあと、町内の秋山寿三さんが先導で、川柳作句をしおうではないかと募ったところ、三枝昌人、長縄今郎、寺沢正光、豊島好英、矢崎まさる、中村伍朗、川村重信さんなど集まった。勢いしなの川柳社に結びつき交流を図った。
 社内で貞夫さんを含む山なみ会ほかに松の実会、天狗クラブのグループ合同で競吟会を開いて交流を深め励んだものである。
 貞夫さんは望まれて町内要職をつとめ五十有年に及んだ。中信バレエ学院の設立に努力、才能教育の発展に尽くした。
 昭和四十年に愛妻を亡くしてからは二男一女を育て、長男勝義さんは信州大学農学部教授、次男と一女は喫茶、画廊アートフレンドを経営して順調である。
 貞夫さんは歌舞伎、映画、小唄、長唄に精通し、ときどき高説をうかがって感嘆したものだった。見世物にもふれ、地元として興行主との仁義応対には貞夫さんは詳しかった。文献について話したかった人に名古屋の小寺玉兆がある。
 江戸時代松本発行の「古今田舎樽」を手にしたのは昭和十三年で名古屋の藤園堂書肆から購入出来欣喜雀躍したものだった。小寺玉兆蔵印本。
 「日本蔵書印考」に確か参考とし掲載されている筈である。自画像は「色物の世界」白水社発行にあり、小寺礼三氏蔵として誌されて敬慕の情を持つ。
 この人の著「見世物雑誌」五巻五冊(早稲田大学図書館蔵)は、古今無双の寄席、見世物の大記録とされているそうで、近世後期の尾張の芸能史は玉兆一人で書かれたという。「連城文庫書籍目録」によるだけで百五十余種に及び、蔵書は二千種、秀でた健筆家。
 「見世物雑志」「続尾陽戯場始志」「尾張芝居雀」の労作は、日本芸能史研究者必読の書である評が高い。
 明治十一年九月二十六日、七十九歳で没した。死後五十余年を経て蔵書が流出したその一冊の筈。