三月

 近所に犬を飼っており、誰か来るとしきりに吠える。鎖にしばられているときから滅多のことはない。放し飼いをすると顔馴染みだから嬉しがり、跳びついて私を面食らわせる。無邪気そのものでこっちも楽しくなる。
 縛られているとき、急に自由になりたい時期があって、遠吠えをくりかえす。連声だから少しうるさい。それが昼間でも深夜でもおかまいなしに続ける。
 また少し離れた家にも犬がいて呼応となるとさすがに交響曲だから閉口する。仲よくしている間柄で何とかしてくれ給えとは言えないものだ。
 深夜の警戒をしてくれる犬が怪しく人影を察知して吠えることを考えると、深夜の遠吠えも安眠を誘うものだから感謝のほかはないというもの。
 週休二日制で中小企業でもだんだん休日が多くなる傾向で、それだけ仕事の運営の面に心を配らざるを得ない。
 それて反比例しているのは晩酌で、いたって勤勉型を重んじて転換の時期をそらしていたが、やっと一晩だけ休むことを約した。何曜日がいいか、家内と相談したが、家内の方も晩酌を続けているものだから、すぐには決めかねてとうとう思い立ったが吉日とばかり、第一月曜日に賛同し合った。
 或る夜、犬の吠えるのを聞きながら、私たちにとって休肝日を決めた感動が夢心をよみがえらせ、あとで気付くと漠然とした幻のような筋書のない内容で、はっきり思い出せなかった。そしてうとうとした気分を大事がった。
 そんなとき落語の「天狗裁き」をおぼろげながらよみがえらせ、ひとり笑いをした。
 何故か寝言をぶつぶついって眠る亭主を起こす。どんな夢を見ていたのかときく。さっぱり夢なんか見ていないと言い張る。ちょっと言い争う。
 仲裁に入った隣のひとが、亭主にも夢を見ていないと頑張ったため奉行へ訴える。奉行にも夢を教えぬので、庭の松の木につるされ、これを見た天狗が助け、また夢を聞き、「教えないと八ツ裂きにする」「助けてくれ」女房「あんたうなされてどんな夢見たの」