一月

 妙な癖があって、人に道を尋ねられると、克明に教えて上げ、それでも分からないと、外に出て行き、指先に心をこめ、さし示すまで丁寧になる。
 あまり熱心なので、相手はキョトンとした顔を私に向けて来る。それでも納得できないと、住宅地図を持ち出し該当の場所をたしかめて貰う。
 満足そうに頭を低くし、感謝の意を垂れ、小声大声を問わず、私は微笑をたたえて応じることにしている。通い馴れた道ではなく、初めてでそれも地図など持って来ないとすると、やっぱりその土地の人を煩わすに如くはない。
 いつだったか、少し調べておき未知の地に行ったが、どうも判明せず、通り掛りの人に聞いた。こちらも少し知った振りをし、その辺に魚屋がある筈だがと腰を入れた。「教えられたいなら、黙って聴きなさい」と、たしなめられ頭を掻いた。そんなちょっとかいを入れると教えないぞ、私は少しだけ睨んだ。でも快く教えていただくことが出来た。
 人に道を尋ねられて、その時間を惜しむのだろうか、「私は此頃こちらに来たばかりで」と、ことわるひともあるそうだ。胡散臭そうな顔つきをし、知らんぞとばかりにハネツケる。意地悪に出会ったら堪らない。どこかで暇人に聞けばいいんだ、こちとら忙しい身分だと厄介あつかい。すいすいと通り抜けてゆく。
 親切に教えて貰い、きちんと町角で振り向いて感謝する。いい風景だ。鈴木史楼の「百人一首」のなか、副島蒼海は辻に差しかかると、そのまま曲がらずに、いったん立ちどまって、体の向きを真角に変える。そうして、また歩き出す逸話を紹介している。
 本名種臣、佐賀の人、維新後、外務郷参議、征韓論を唱えて下野後に枢密院顧問官、書を能くする政治家だった。傍ら明治九年十一年にかけて、清国を漫遊し、書道への造詣を一段と深めたという。
 私の父は骨董好きでちょっとしたものを持っていて、偶然副島の横額がある。あまり古びたので表具店で洗濯貼り替えを頼んだ。格調そのもの「白雲」を娯しむ。