四月

 事務室にいま鳥羽宗雄画伯の油絵「校庭」を架けてある。時季だから桜の下で学生たちが屯するのがいいと思い、気がつく人だけに購入したいきさつを話し掛ける。もうひとつ長崎柳秀、大阪大教授の色紙。
   何んと今言はれやうとも
     差し向ひ
 画賛は彩つたかんざし。変体仮名で、ちょっと読みにくく、こちらから詠ずるように明かす。
 毎月、油絵、水彩画と川柳を選ぶことにしている。興味のある人もあるもんで、集金に来るたびに鑑賞してくれる御仁がいる。こちらも嬉しくなり、何やら浮かれた振りをして談笑を交す。
 ところが夢を破る一椿事が起こった。私の机の引き出しがこじあけられたのだ。たしかに鍵を掛けておいた筈なのに、あけられたままの姿勢で出合った。
 二段目に鍵があり、一段目も通じる。無論、二段目を強く引っ張って、止め金が曲がったまま。幸いのことに金が入っておらぬ時間で、使い古びた銀行通帳若干が紛失していた。
 近所の交番に一応報告した方がよいと感じて、のこのこ出掛けて見たが、あまり大事がりもせず、気を付けることですねと、やんわり慰められた。
 持って行かれない重さの小金庫を買おうときめた。人を疑うより自分の心にしっかり鍵を掛けることが第一だけれど。
      用心棒の資格
 並河天民は伊藤仁斎の門人で東涯と並び立つ人物であった。ある時弟子達が集まった席上「先生が志を得られた場合、自分は何に使って戴けるでしょうか」とそれぞれ己れの志望を述べた中で、一人の門弟が、「米蔵の番人にでもして下さるなら、米一粒とて掠めたりはいたしません」といふと、天民言下に、「お前に米食の番人などさせられるものか」「これは情けない。盗むとでもお思いなのでしょうか」天民笑いながら、「いや、自分で盗めるくらいの才覚がある人間なら番人に頼めるも出来ようが、お前では人に盗まれるばかりさ」   (玉石集、昭和廿三年)
 天民は徳川時代儒者。京都。 享保三年没、年四十。