八月

 どこでも気温が三十度を越えてむし暑い日がつづく頃、事務上の連絡に遠方を駆けずり回ったのが無理だったらしい。健康に自信ありげな行動が我武者羅すぎた。
 繁雑な処理であっただけに、少し神経をたかぶらせ、連日の暑熱も加わってか、とうとう身体をいためてしまった。
 お盆だからどこの医院も休みで閉口したが、緊急医に診てもらうほどでもないので我慢した。そうかといって一日中寝ているわけにではなく、昼寝には氷枕を気休めに当てて横になることにした。
 日が経って近くの医者に出掛け血圧も体温も平常、別に心配することはないとの診断。でも気分的に重苦しい。そのくらいは辛抱せよと言われノコノコ家に戻った。
 そして気候の方は凌ぎ易くなりすがすがしい朝を散歩することにした。うまい空気だった。うまい風だった。
 孫が京都のお寺で頒けていただいたお守り袋を右腰にぶらぶらさせながら。今は気の入れようでお守り袋のなかに、私の住所と名前に小片を入れてある。
 ふと朝刊を広げて読んでいるうち、八月十五日、古川久さんの死去が報ぜられていた。オヤッと驚き、偲んだ。
 松本高等学校教授時代、大阪の「三味線草」に執筆していることを知り、知遇にあずかろうと、市内惣社に訪ねたのが初対面だったが、折角奥さんの出産日の忙しさお邪魔してしまったのに、億劫がらず快く接して下さった。
 それからはしばしば拙宅に訪ねて来るようになった。私が武井武雄豆本の継続読者だったので、刊行時を見計らってお顔を見せ、つぶさに興味深そうに手にとって嘆称されたものだった。
 松高が信州大学に改められた直後、宮都宮【宇都宮?】大学のち東京の各学校に教鞭に就かれたが、専攻の能狂言の会の解説書をよく送ってくれた。たまにこちらへ来ると懐かしい話を聞かされた。能狂言の著書は勿論だが、ほかに「夏目漱石―仏教・漢文学との関連」とか、為永春水・校訂「梅暦」二冊の岩波文庫。尾崎雅嘉著、校訂「百人一首一夕話」二冊の岩波文庫。また滋味豊かな「菊豆腐」がある。