十一月

 常念岳は二八五七M、槍ヶ岳はひとつ向こうの尾根で少し離れているから、小さく見えても三一八〇Mの偉容を誇る。私の住んでいる近くの松本城を前景にした眺めはまた格別だ。
 国宝松本城へのメーンストリートでもある大名町通りで、この程装いも新たに歩道を改修して面目を施した。
 シナノキ、ナナカマドの街路樹のそばには百ワットのハロゲン灯三十基を備えつけ、夜景に一段の冴えを披露することになる。完成祝賀会は十二月二日と決まっているが待ち遠しい。
 十二月に入ると暇を見ては年賀状書きに忙しくなる。一枚々々工夫を凝らして手書きにする殊勝な人たちも同じように大童である。十五日から年賀状を受けつける郵便局に、一番乗りを志す熱心な方もあるように聞く。
 そしてちょいちょい年賀欠礼はがきをいただくことになり、故人のおもかげを偲ぶ日が続く。知友のご夫婦の兄さんが逝くなった喪中はがきが届いたことがあり、丁寧な挨拶状に恐縮するばかりと言う人もあった。
 悼む気持ちがわかるが、令夫人の兄さんは会ったこともないし、尚更知り合いでもない。ちと頭をかしげてしまうとまた呟いた。
 こういう場合はどうなんだろう。葬儀に出掛けなかったし、わざわざ挨拶状を貰ったら、遅いけれど香料を差し上げねばならないのだろうか。
 せめて友人のお父さんお母さんなら逝くなったときお知らせがあったので、然るべく義理は果たしたつもりだった。喪中はがきが来たので慰めのお便りはしたつもりだったらしい。
 この頃は夫婦双方の父母が亡くなったとき、あまり関係のない人への喪中欠礼は遠慮しようという向きもあるようだ。そして普通に年賀状を出す。それではあまり情がなさそうだという人もあろう。しかし岳父が亡くなったとき、実は私もそうだった。
 人それぞれの気持ちがあって、広範囲にお知らせして喪に服すべきだと考える方もおありだろう。それもいいではないか。どっちみち(心の問題)なのだ。