八月

 川柳ひろしまでは、表紙に、四十五年目の原爆ドームで戦争の記憶をいたましくもよみがえらす。
 川柳番傘は空を衝く伸び上がった高層ビルの繁栄、川柳ひろばはカタツムリが葉の上に載っている季節感を盛る。
 川柳さっぽろは北の国にふさわしい大通り公園、川柳案山子は切り絵まがいの瑞鳥、川柳柳都は民謡踊りの瓢逸、川柳ねぶたは題名ぴったりのミニねぶた。東北三大祭りのひとつで名高いねぶた。ふっと頁を開いてゆくと、なつかしのアルバム(金枝久五郎氏所蔵)が見える。昭和十五年五月二十六日旧国鉄黒石駅の柳の木の下で並んだ面々。なつかしい顔がいくたりか。
 本文の閑話休題の松原とおしという方の「前田伍健のこと」を読むと、ひらない五周年大会で優勝して、故奥昭二師から伍健の色紙
  なんぼでもあるぞと
   滝の水は落ち
を戴いたといい、それも思い出となって懐かしがっておられる。
 偶然、金枝久五郎氏所蔵の写真の昭和十五年といえば、川柳しなの一月号から六月号の表紙の木版画は前田五健(その頃は五健だったが)作品、饅頭笠を冠った旅人が馬子を連れての馬上姿、向こうに山が見える。
 五健は画賛のものが多い。当時阪井久良伎食満南北、富士野鞍馬らも画を添えた。私所蔵の色紙は 
  大吉のみくじに今日の
    こころもち   五健
 縁起のよい狐いくつも。
 さきの黒石駅前に並んだ面々で
  海の幸一ツの貝に一ツの名
           三太郎
  せめても蚊帳の天井高く寝る
           雀郎
  餅を重ねて満足の手をはらひ
           紋太
 五健画で小林不浪人の句、
  気の合った人と渚に来て
       しやがみ
などを大事にしている。不浪人は視察旅行で上高地へ来た折、拙宅に寄っていただいたが、「おらとこの十和田湖に比べると雲泥の差がある」といって上高地をこき下ろした。その十和田湖を案内してくれたのが東奥日報の工藤甲吉さんだった。昭和三十八年九月。