七月

▼立ちん坊みたいな恰好で、街中に待ち合わせをしているんだが、なかなか時間になっても見えぬときほどいらいらすることはない。目の前を通る人で談笑してゆきく連れのあるふたりが羨ましい。
▼ひとりでなく、連れ添っているふたりの方は頼もしく、またそうありたい気分がしてくる。人という字はお互いもたれ合って成り立つからだという。
▼静かに黙念とおのれを近付かせて、反省やらあきらめを洗い直すひとりという立場。人間たまには忘れがちなおのれへの回帰だ。
▼待ちぼうけを食わされたままで終わり、すごすご立ち去る身になると、改めて孤独がぽつんと溜息をつくのである。
▼ひとりからふたりにうつる転移の恢復感が望ましかったのに口惜しい。もう一人加えて三人で賑やかに胸のもたれを慰そうか。
▼いたって無邪気な裸ン坊が男三人、これまたやっぱり裸ン坊の女三人を追っ駆けてゆく。手を挙げ、声を立ててはしゃいでいるような画である。
▼池田永一治という漫画家の筆だが、石子順の「日本漫画史」によると岡本一平の東京漫画会に属して対象時代から活躍していた。
▼画面の上に「十人十色」の横書きの賛があって、ほどよく利き、一種の風刺画の趣きを発散する。
▼人間の顔がみんな違うように、思いも好みも違うものだとう俚諺だが、この画のかもし出す色気は、子供像を借りてやんわり示唆に富む。
▼画は三人、それぞれ惹かれ合いそして相性を求め合う。あやかなる彩りの十色に誘われゆく十人のかずかず。
▼また一人ふえて十一人になるとはみ出した一人に寄せる可笑しさを、先人は洒落でまとめる。
    客十人
 客十一人来り、椀一人前不足ゆへ、大屋敷へは黒椀で出す。大屋座中を見廻し、「皆の衆へは赤椀、我一人黒椀とは其の意を得ぬ」との立腹。親類、勝手へ行き、「外にしゅわんはないか」
 安永二年刊、「坐笑産」にある小咄。(しゅわん)朱椀―思案の縁語でちょっと笑わせる。