十月

▼旅に出る機会が殆どない身分でも、先方からわざわざ訪ねて下さると、ついお好意が嬉しく話に夢中になる。先日、羽曳野市の塩満敏さんがやってきて、信濃路に憧れるがあまり、つい松本に寄ったといって、しばし語り合った。
▼勿論、お互い川柳の道にいそしんでいるから、その筋に触れ関西柳人の動静に及んだ。麻生路郎師の塑像のいきさつをかいつまんで明かしたが、横額の
  だしぬけに鐘が鳴るのも
        旅の事  路郎
 遠い昭和一ケタ年代の若き日をおのれにつき合わせて、ふっと懐旧の念を瞼の裏に描いていった。
▼岸本水府さんの肉筆句集や椙本紋太さんの茶掛け、食満南北さんの二枚折り屏風は次回にお目にかけることを約束して帰られた。
▼この頃、武井武雄画伯の豆本所有者の親類連が、初めて松本に来るということで、私もその仲間だったので、遠来のお客さまを歓迎に落ち合った。
黒柳徹子の絵本「木にとまりたかった木のはなし」が武井画伯の絵を添えて、岩崎書房から発行されたのを新聞で見た折からだったので、何かの縁だと思った。
▼武井豆本は昭和十年代の初めから行われ、私の持っているのは第五冊「童語集」が最も古く、昭和五十八年二月に逝去される近くまで連綿と続いた。
終戦後、印刷事情が芳しくなかった頃、東京の今村秀太郎さんを知って、「限定版手帖」の印刷を頼まれお引受けしたまではよかったが、表紙に入れる武井画伯の画の凸版に苦心した。当時、まだ松本では凸版技術が不充分で、線のかすれや乱れが目立ち、武井画伯のお叱りを頂戴したことを親類連に話した。
▼同じ親類連の松本の丸山太郎さんは、蒐集の豆本を入れる箱の意匠、制作を心掛け、年を追って三種ほど希望者に頒けた。その丸山太郎さんは今年四月逝くなった。
▼武井豆本豆本の嚆矢といわれるほど評価が高い。三百部限定で新奇希望のものは残念会に入っていて、購読中止の脱落があると、その補充に加われる仕組み。
▼今までこうした親類連が親睦の意味で旅行計画を樹てている。