二月

スパイクタイヤが公害の先鋭として近頃恐れられ、もう定着した様相を呈している。さし向き毎朝道路を掃除するのにゴミは僅少でも、車輌が運搬してくる砂塵はおびただしく、捨て場は山のようだ。
▽雪は降らないせいもあってか、砂塵が目立ち埃っぽいこと目に余るほどである。暖冬を喜んでいたのに、急に寒波が押し寄せるものだから、あわてて寒い寒いとこぼし合っている。
▽須崎豆秋さんの句だったか、
 なんせもう二月は
   二十八日よ
があって、切ないような、あきらめたような、こういったもんさ、そんな気をさせながら、作者の持つ稟性をうかがわせて、よく口吟まれたものだった。むかしの作品だが、いまもまた悠揚のおもむきリアルな諦観を味あわせる。
▽二月は早春の手前、春の鞏音が近いのに、冬の挽歌みたいに実にしぶとく冷厳な寒気を毎日流して倦まない。陽の光は暖かい筈なのに、風が膚にこたえる。
  吹雪く夜は汝がおくつきの
     白き見ゆ
 弟が他界したのはこの二月の六日だった。もう四十有余年にもなる。あの頃はよく雪が降ったのだろう。いまのように朝降っても昼近く消えてしまうような雪ではなかった。
手塚富雄先生が二月十二日に逝去された。松本高等学校に教鞭をとられていたとき、弟が文科乙の三年生の担任だったので私も知己を得た。松本でのお住まいは二、三度変えられたらしいが、一度住んでおられた家の辺りをいま通ることがあるが、何となくああ手塚先生の家だったと気がつく。
▽杜美王という雅号は先生仲間の俳句で使われ、私は川柳だからつい「川柳しなの」をお見せしたりした。その代りといってはもったいないが、シヤミツソーの「シュレミール綺譚」メーリケの「画家ノルテン」の訳著をいただいた。ゲーテの「狐のたくらみ」は子供向きにした中央公論版で、特に感銘深く、小咄というものに興味を持ちつづけていた折柄、この本の話の筋の運び、諷刺といおうか、想像力にあやつられた。創作「帰り行くひと」丹精な署名がつく。