一月

▽そう決まったのは何となく一人が紹介したに過ぎなかったが、みんなの承諾を得たような恰好で、正月の集まりは軽井沢にすることになった。年の暮れだった。
▽その日が近づくにつれ、例年になく厳しい寒さが続いた。軽井沢の夏は信州で一番涼しくて凌ぎよいが、その代り冬はさぞかし寒さでこたえるだろうと思った。
▽軽井沢というと、落ち葉松の林を想起し、別荘と赤軍事件とテニスコートが、冬でない季節のなかで浮かび上がるのである。ここを開発した明示の頃の英国人宣教師が悠揚迫らぬまま散歩している姿が当然のようにちらつく。
▽ふりそそぐ木もれ陽を浴びながら、林のいくつかを抜ける人たちが三々五々逍遥している。心地よい涼風にひたって、憩いの語らいの芝生のジュウタン。どうもこんなな風景が目のなかに飛びこんで来る軽井沢。
▽ガラリと変った冬のなかに、私たちは思い切って、その軽井沢と対面するのである。マイクロバスの一同、飴玉を頬張って話し合っていた二時間が短かく、一泊旅館に到着である。松本と同じに雪は少ない。近くに浅間山のゆるやかな煙りがたなびく。
▽「松本の青年会並びに若妻会のみなさまようこそ」と出迎えてくれた挨拶に、私たちはキョトンとややくすぐったかった。この齢で青年会、若妻会とは、してやられたとみんな苦笑い。
加太こうじの「冬の軽井沢」に「室内を暖めておいて、そこで眠って、朝、何かの用で戸外へでると、凛冽たる寒さが神経を刺激して敏感にしてくれる」とある。外はたしかにそうだ。でも暖房の入ったこの旅館は寒さ知らず。夜の宴で心のこもった家族ぐるみのもてなしを受け、私たちも十八番の唄が出揃った。
▽翌朝、テレビでは零下十二度が松本、十度が軽井沢と放映。みんな嬉しがって「松本は寒いところだなあ」の連発。帰りもマイクロバス。中仙道と北国街道のあの追分の分去れあたり。桝形の茶房が残んの香を偲ぶも語り草。しょんぼり車塵を浴びていた。ふと「後朝にわらんじを履く軽井沢」(不詳)が頭をかすめる。