十月

△ふと目を覚ますときも、どうやらみんな寝ているなと感じ、少し早い時間をさとってから、天井を眺めた気持ちで、何を考えたらよかろうと、暇なような遊びごこちのうちに自分を養ってやる風になるのである。
△いまいましいことや悩むこと、いらいらすることにひっかかっていても、人をあやめたり、どんなにしてあざむいてやろうかなどとは、どうも苦手である。一番小さい孫の、一年ちょっとの歳で、年頃の娘になる歳月を自分の齢に加えると、ハッとしてそんなになるかと思って、遥かだ、きびしいと、呑気なような恰好をして見せたりする。
△身体虚弱、丙種合格と言われてうやうやしく引き下がっただけに兵隊にはいかれなかった。せめて点呼くらいでお茶を煮ごしていたから、ほまれの煙草の味は知らず、こんにちまで喫う機会はまるっきりない。商談にいいきっかけを見つけるときにはその間を生かし、煙草の火をつけるタイミングは素晴らしいらしいが、それを同じように苦吟しているときの一服が実にうまいそうである。それも話に聞くだけで、はたで黙ってうなずくに過ぎない。
△連れ添った家内が若くして煙草をたしなみ、それも隠しもせず私の代りに愛煙家とは恐れ入ったものである。さして気にもとめず、喫っている満足そうな顔つきを見るともなしに今もつづいている。私は晩酌をほんの少々やる割り合いに、酔余の情景や心やりが句にあらわれるのをいいことに、それがいまはやりの生き甲斐に結びついている始末だといったら、いい気なものだと笑われそうだ。
△お互い仲よく分け合っている見たいになっていて、寝るときも私の寝息が苦になるといい、逆に横たわる。何のことはない、69型みたいだ。しかし昔の威勢はどこへやら、隔てあっていやにくすぶっているだけである。たまに意識的に或いは無意識に音と匂いの交響曲を余儀なくされるときも、相身互いと容赦し合うあたり、夫婦だなあと思ったとき、私のよしなき幻想を破るように、家内の寝返りに合ったところでピリオド。