三月

△朝ふと目覚めると、雨が降っている。近所に屋根のある家もあるが、南側のここの部屋で聞こえる音は、ビルに降る雨の音である。やはり音をしている。それはあまねくうるおす恩沢だ。
△今すぐ起きるにははたの者に迷惑と思って、よしなきことを考えながら、もう寝足らぬでもない目を閉じて雨の音を聴くのである。その音もいつしか止んで、家族一同が起きる時間になり、やおら寝床から起き上って、ガラス越しに山を見る。美しい眺めである。それは滴った雨にみなぎるような山容をあらわしている。麓の辺から見渡せるこの窓に、遠いけれどまるで迫ってくる色合いである。
△学生時代、夏休みも冬休みもすぐに家に戻らず計画を樹てて、東京から山へ直行した山好きな伜も雨のやんだあとの山の美しさを賞めたたえる。じかに深い山に入って雨に降られ、それが止んだときの素晴らしさを今言うのである。
△ただ黙って山は私たちにまかせている。どう見られようが動じない。雨に降られ、雨が山の姿のあでやかさを増したとしても誇らない。まだ雪のある化粧の顔を気にしないで眺めるものにゆだねたおおらかさが私たちには痛い。その痛さが長く続かないのがいい。山はおだやかだ。
△時間になると私は働かねばならない。働いているとき、いつまでも山を考えているわけでもないのに、そっと朝見た山の温容が胸をかすめる。いつか忘れ、消えてせっせと稼ぐ。つれない人だなと、山は思わないのだろう。そのこだわりなさが決してつれないとは考えず、ありきたりの触れ合いと観じていられる心安さよ。
△春が近づいたことを告げるには山のすがたを見るがいいかも知れない。いただきに雪をかぶった高い山が、そっと手をやったと思われるときに、だんだん雪が消えて地肌をあらわしてゆく。その日が何となくつづいて、つづくことがあたりまえのように感じながら、こちらも春の訪れを待ちこがれる山に同調し、いつのまにか同化したみたいに、あらためて山々の顔をのぞくのである。
△山が見守ってくれるから、面倒くさそうな顔をしたくない。