十二月

◆ここに移り住んで、子供夫婦の部屋からは南の空を、私たち夫婦は北の空を眺める。一枚のふすまが境になっている。廊下ではないので、まるで一緒に寝ているような恰好なのだ。孫たち二人は我が物顔にこのふたつの部屋を飛び廻り、仕事がすんで事務所から帰って来た伜と私を迎い入れると、私たち夫婦の部屋は夕餉のたのしい語らいの場となるのである。
◆いささかの晩酌が男たちの前に出る。私はお酒、伜はウイスキーで、それぞれの短かい時間を飯にありつけるまで口をうるおすことになる。私はわりにペースが早いが、アルコールが入った伜は今日いちにちの出来ごとや時事をつづけて、少し長い経過が流れてゆくので、私の方がさきに飯に箸をつける。
◆テレビはもう孫たちのもので、怪獣ものやサザエさんやロッキーが話題を賑わす。そして機嫌がいいのである。むずかしい記録ものを毛嫌いして、たまに大人たちの此頃のトピックをきめつけた番組に切り替えると、途端に不機嫌となり、二人の孫はあばれ廻る。
◆それを見ぬ振りをして、大人が聞き洩らすまいと、テレビから読みとってゆくのには、ちと自分でも抵抗を感じたりしている。孫は大人番組の終るまで、ムズムズ、ゲジゲジして不満をあらわし、厄介な芋虫のようにフンゾリ返った寝相を見せる。
◆大人が満足し、うなずく間、孫の視界ははずされ、飛び込んでくるアイドルの笑顔に接することが出来なくなるから、いらだちと怒りがこんがりと焼け、時が経つにつれて眠くなってゆく。
◆朝早く寝覚めるのは年寄りの私たちで、少し北側の明かりを入れるべくカーテンを引いてみる。今日も晴れたなと北の空を仰ぐ。そしてこちらに越して来た五月に、置き忘れたと思われるよその家の五月節句の矢車がくるくる廻っている。とても長い竿にさしかけた矢車だ。時期はずれみたいに、六月も八月も、とうとう冬のきょうも廻っている。
◆こうして廻っているのはダテではないよ、人間どもを何とか刺戟してやるわけだがなと、木枯に鳴る矢車は至極健在だ。