十二月

▽ドーランを塗るということでもなかった。髪を殊更直すという配慮もなかった。いきなり素顔のままでテレビは映像をかまえていった。信越放送から「ことしを振返る」−長野県スナップ70−に出てくれないかという電話があって、いそがしい時期でやれるかなと思ったが、川柳をこしらえるという話だったので、これには行かなければなるまいと勇を皷して十二月十三日に出掛けたのである。
▽テレビには久し振りであり、その後の様子を知るにもよい機会だった。集った人たちは、新聞の論説主幹だとか旅行公社の担当員、商工会議所の課長、県警察部の方、メッキ工場の社長という面々である。打ち合わせにも放送のテーマとは別に、それぞれ専門的な話が出て来て面白かった。
▽この人たちに当事者として、またかかり合いを持ったということで、印象や感想を聞くのである。私は何をするかというと、このスナップに取組んで川柳を提供することになる。そこで私は川柳家のレッテルが貼られるのである。
▽先ず(社会党の動き)では
 はがゆくも贔屓相撲がまた敗れ
で、私がこの川柳を二度朗詠して問題を出し、順次顔触れによって批判やら解説がくりひろげられていったのである。まずい顔が大写しにアップされ、間違わないように自分の句を復唱するのであった
▽(公害)では
 公害にひしめく街になおも生き
(キャッシュレス時代)では
 ポケットの気軽さ呑みにまた出掛け
(大型スーパー店の進出)では
 要望に応え大型吸い上げる
(海外旅行ブーム)では
 お喋りも一しょ海外まで延ばし
信州大学教育実習紛争)では
 教育の道に理屈をつけたがり
(モーテル激増)では
 モーテルの灯を羨んでいる身分
▽しめくくりはアナと私の対談で、今日の世相は川柳にいかなる反応をもたらしたかというくだりになって、(物価高)の川柳を採り上げ、尽きることのない題材をばらまく現実と川柳の意義を強調しておいた。