二月

▽私の近所に蜂屋がある。軒下にずっしりと巣箱が積み重なっていて、ひっそりとゆとりのあるおちつきが感じられる。或る時期になると旅に出るという。「花を追うジプシー」である。実はこの「花を追うジプシー」の見出しの言葉は清水美江さんが出した句集「みつばち」(六〇〇円〒七〇円)のなかの小項目なのだが、春の早い南国からだんだん北上して、あちこちの花を追いながら蜜を採取してゆくのだという。
▽実際にこの蜂屋と行を共にし、ドキメンタリーに撮ったテレビが羽仁進製作で放映されたことがあった。
 花千里はちに牽かれてゆく蜂屋
 トラックではちの行くての青い山脈
 こんな風に美江さんは句ごころをゆさぶられて詠っている。
▽私の町内に歯医者さんがあり、その息子さんと美江さんの息子さんは東大が一緒だった関係で、松本に出た折にわざわざ息子さんが蜂蜜を届けていただいたことがあった。その前後して美江さんはよく蜂の句を作られていた。飽くことなく、倦むことなく、つぶさに観察し、思考し、蜂を愛された。
▽養蜂二十七年の経歴があるというから、この方面ではなかなか一家言を有していることがわかる。自分の家で飼い、蜜を採る。蜂とは見知り顔で、ひとつずつ名前までつけてやりたいくらいだろう。
 はちの国はちは個にして個にあらず
 女王蜂ゆさゆさ勃興の唄が湧く
▽蜂の動静が生きてなまなましくところどころにはさまれた蜂に関する知識が唯単なる記述におわらず、蜂を愛する真情がにじみ出ていることが洵に美しいのである。奥さんが脳溢血で半身不随になられたのは昭和二十九年二月三日、その後、手厚い看護をしながらも蜂を飼われたことだろうが、昭和四十三年二月五日に逝くなられてしまった。
▽作品のなかには奥さんのことは出て来ない。胸にひっそり自分だけの哀しみとして、蜂を詠いつづけている句集である。でも作者のこころのうちに人知れぬ思いがひそめられている事はたしかだ。浦和市常盤七の十五の十二居住。