二月

▽雨露を凌ぐという言葉がある。わが愛犬のねぐらはそんな風情がただよい、ひつそりと物静かだ。ただ黙つて忍耐強く、わがからだを包むようにして眠つている。眠つていても、物音がするとカツと目を開き、すかすが如くその方に頭をもたげる。年を取つたとはいえ、まだまだ警戒に怠りはない。
▽犬の放し飼いは自粛するように言われているから、街のなかをうろついてまごまごする犬はもう殆ど見受けない。交通戦争下の真つ只中に敢えて身をさらす愚を喜ばないからだろう。四足で歩くのが普通なのに、一足だけ地につかないで、ピヨイピヨイと浮かしている犬を見掛ける。車にひつかけられたなと思つてみる。鎖から放れて自由になつた安心感から、輪禍に見舞われた同志のいたいたしい姿を見ながら、わが愛犬は振返り老いの目をしばたたくのである。
▽通りすがりに強そうなのがいると知つて、わざとその道を避けてやる。ときに不意な同類に出つ喰わしても、そんなにあわてないで見過ごしてゆく。そのおちついた態度も、やはり年のせいだな、見上げたものだなと、自分のことに照り合わせて、変なところで感心して見るのである。
▽犬にも足音というものがあるのか、犬の気配というものがあるのか、よその町を通つてゆくとき、奥まつた家のどこかから、敵意の遠吠えを聞かして、示威をきらめかす犬がいる。足音というほどでもないのに、よそものの物の怪をすかさず覚る習性はさすがだと思う。わたしだつて、感付くわよといわんばかりに、わが愛犬は愛につながれた鎖をグーンと引つ張るようにして先を急ぐのである。
▽ほつたらかしたねぐらに置いても、雌雄の出会いの熱意はなくなつたと見え、たかぶつた目つきはしない。哀れだと思う。でも老いの平穏の日日だ。夜明けのだんだんあかるくなるときに目覚め、一星二星を見つけ、だんだんくらくなるときに眠つてゆける暮しが平凡だけれど、結構たのしんでいるのだろう。
▽朝に昼に晩に、ときには一食をつい忘れてやらないこともあるけれど怒りはしない。ありがとう、この言葉が伝わつてくる。