九月

▽何か考えごとをしなければならないような、追われた自分を早くおちつかせたく、誰よりも早くわがねぐらに急ぐ。ひつそりと、だが柱時計が調子よく振子を響かせている。私が生まれる前からある時計らしい。父が傍ら保険会社の代理店をして当時、挙績優秀で報奨というかたちで戴いたのだという。振子が動くのが見える硝子戸に、長くそのことが金文字でしるされていたが、いつのときか、父が消してしまつたから、私だけが知つている時計の生い立ちだ。その時計だけが一心不乱に動いている。部屋に入つて来て、またきようも終りそうだなあと思う。
▽蒲団を押入れから出して敷く。何とまあ長いのだろう。ふかぶかと横たえるわけではないが、これが自分なのだとそう思う。いつも気がついてくれて、シーツが真白いのは、妻の心くばりだ。枕のさやも真白いよ。
▽こんなに考えごとをしなくてもよかつた若い頃、
 憂きことの重さを捉へたる枕
があるが、どうもいまの自分にはふさわしい句である。とんだところで身につまされているが、やつぱりあらそえない句歴の因縁ということが頭を持たげる。
▽さてながながと伸びて、闇のなかのひとりぼちをかい抱くようにいたわつてやる。いたわつてやるほど、よい仕事をしたかといぶかつて見ることをつい忘れ、一番動き廻つているのはこの俺だと、少し気張つたつて、誰も応えてくれそうもない。するとやわやわと押してくるもうひとつの想いが、何を大きく出ることがあるものか、その心根は最低だぞと、にらみつけるのである。
▽そうかなあ、そうなのだと、返事をして、やつとおちついたような気分になる。この歳でまだ迷つている。ドツシリ腰をおちつけていてくれよ。
▽退屈した、ほんとうに退屈したから遠吠は許してくれ、そう言わんばかりにわが愛犬は夜陰をすかして、うめき声を立てる。鎖につながれて、その行動範囲の桎梏のなかを彷徨つている。ふとその声を聞き、ああ、自分はあのようにはばかることなく、伸びをする声を立ててよいものかと心に聞く。