三月

▽仕事がすんだあと、仕事といつても川柳の仕事ではなく、生ききるうえの仕事のことだが、ようやく春めいた庭におりたつて、草木の芽生えをたのしむのである。犬はやつぱり鎖につながれて、土蔵のわきにやすらいの蔵のわきにやすらいの棲家のなかからめぐり来た春をただ黙つて見やつている。とらわれのわが身がいつそういとしいのであろうが。
▽盆栽と名のつくものではないけれど、段々とつくろつた棚にいくつもの鉢が、どれも息を吹きかえしたように緑のいろをよみがえらすのである。鉢のままで土にうめられて冬越したのを掘りおこしてやつたのも、仲間のなかにいる。少しずつ自分のいのちを見出した顔をして春の雨を吸い、それから季節の恵みというものをはつきり嬉しがる。
▽岐阜の知人から瓢箪の珍種というものを貰つた。育てるとなかなか面白い恰好になるそうである。これを蒔いた。芽が出て来た。どこで大きくさせようかと陽当りのよさそうなところを今からさがしている。育てようが下手だから、どうかと思う。「父さんは水ばかり撒いている」とよく家のものから言われる。能なしみたいにただ水だけでは育たないという。たまには水びたしを嫌う性質を考えてやつて、水まきを控えてやらねばならないものらしい。特に松はそうだという。
▽この盆栽の松は特に目立つ。所望されて絵を添えた川柳の色紙を書いてやつたら、幾年も大切にしてわが子のような松だといつて貰つた。何か鉢も由緒深いらしい。石が所を得てきちんと風景を画しているのがいい。
▽外に出しても床前に置いても、これまでの歳月が物を言うから差支えないといつてくれる。全く能なしにはもつてこいの盆栽なのである。新しい主人をちらりと流し目で見ているのだろう。そうなると迂闊なことも出来ない。この名のありそうな松の盆栽は一年中青々と亭々とその枝ぶりを誇つている。名もない鉢の仲間はさてどうかというと、みんなすんなりとこだわつた風もなく、目を輝かしている。なるほど松も決して気取つてはいない。そこんところがわかるから小気味がよい。