九月

▽息子夫婦が母屋の方におちついて、私たちは土蔵のなかを改造した部屋で暮している。もともと父が始めた事業のために、商品を貯蔵の目的で建てた土蔵だが、威風堂々とはいかないまでも、このごろ近代化に伴つて兎角姿を消してゆく松本の土蔵風景の典型のひとつとして、僅かに外観を示しているようである。隣が駐車場で建物がないので、土蔵の南側の一部を取り壊したら太陽の光が殆ど一日中満喫出来るのでありがたい。夏の盛り土蔵の中は割合いと凉しく、冬はその代り暖いという通例にあやかつて、こんな小さな土蔵でも期待に背かないでいる。
▽畳を敷いたら十六畳になるところを、入口を土間にして、十畳だけの部屋に仕切つた。大きな額縁のなかに丸山太郎君の版画が入つている。益子焼があがる頃、わざわざ出掛ける凝り性だが、その印象を彫り上げ、焼物を背にした娘の浮き彫りである。墨だけの部厚い画題が、土蔵という雰囲気に親しもうとしている風に見えてくるのである。
▽その隣に四号判の洋画が並んでいる。「にお」という題で、木村辰彦画伯のもの。いま東京の下石神井で画業に励んでいる知友だが戦争後の数年を松本近在に住んでいたから知り合いになつた。たくさんはないが、そのうちでも好きなひとつである。淡い感じで晩秋を捉えている。「にお」は辞書にない。「大言海」にも見当たらなかつた。東条操編「全国方言辞典」には(わら束を積み重ねた物)とあり、稲むらの意である。東北地方、中部地方あたり、福井、滋賀以西では通用しない言葉らしい。
▽もうひとつ掛けてある洋画は小さくてサム。「奔湍」という題で中村善策画伯のもの。近く山が連なり、川が音を立てて流れている風景。これも松本近在を描く。中村さんはいま東京の上落合だが、やはり木村君と同じように暫らくこちらにいたことがあつて知り合いになつた。ご両人は共に一水会に属し本誌の口絵をしばしば飾つていただいたえにしがある。
▽ぐるり親しいひとの作品にかこまれ、しばし想いにひたつて土蔵はますます明るいのでる【ママ】。