四月

▽こんな田舎にいても友だちは訪ねてくれる。都会の匂いを持つて話しかける。ありがたいことだ。東京の高木能州君につづいて渡辺蓮夫君がやつて来た。
▽その友だちから私は殊更吸収しようと、ムキになつて対応するのではない。雑談のうちに私は私なりに求めるものを求めてゆく。相手はそれを意識してかまえない。それが嬉しい。
東京学芸大学の比企教授の親戚の者だといつて私をたずねた青年がある。信州大学に入学、教養課程を修めるために松本に一年勉学するとのこと。少し郊外のところに下宿をさがし、これからは身体を丈夫にする足ならしに、近辺の山々を歩くという。東京のひと。
▽話をうちの家族の者としたが、若者らしく希望が湧いてくると瞳を輝かして、話題を明るくした。好漢!ひとすじにと思つた。
▽やはり東京在住だが、郷里はこちらの藤沢三春君から手紙が来て結婚式を挙げるから列席してくれないかといつて寄こした。三春君自身、晩婚だというけれど、そんなくたびれた齢では決してない。松本の句会にいたときとくらべると、随分進境を示しているようだし、もう東京柳界でも名があるほどである。
▽三月二十七日、松本で華燭の典をあげられ、晴れがましいお二人の前途を祝つた。不馴れな祝詞を不馴れな礼服のひよろ長い私が、訥々としやべつた。何にしても目出度いことである。よい妻君を迎えて生活のうえでも、また句作のうえでも格別な力強さを見せてくれることだろう。
▽三春君が東京にいるしなの川柳社同人なら、長縄今郎君もおなじ松本にいる同人である。今郎君は四月二日逝くなつた。不慮の交通事故である。あの人が、あの元気な人がと、横たわる物言わぬ遺骸に自分もおし黙つてうなだれた。
▽今郎君の告別式の前夜、福島県の今野空白君が大阪の医学会の帰途わざわざ寄つてくれた。いささか酌み交わし、共に語つた。
▽私は告別式のとき弔辞を読み、人生の区切りをしきりに思つた。喜びのその向うに見えない手が待ちかまえていることを考えた。でもなさねばならぬ人生である。