三月

▽わが愛犬は声楽家である。ハイそれまでよを歌うわけでもなく、うすい将棋にかけた生命を歌うわけでもない。そんな器用は私と同じように不可能である。犬はその飼い主の恩を忘れぬと一しよに、飼い主の性格にだんだん似通つてウマが合うようになる。
▽音痴らしく声高らかに一本調子で叫ぶのである。まあいつてみれば吠えるわけである。あやしい人と感付いたら、いち早く警告を発して家人に注意をうながす習性が駄犬ながら身にしみている。
▽私がいいたいのはその声の素晴らしさである。よく徹る。熟睡していても彼女の声を聞いてハツと目を覚まさないわけにはいられない。またはじまつたかと、眠い目をこすつて、夜中のわが目覚めに驚く。そして警告とは別に、大袈裟にしてしまうことが多いのである。つまり吠えるほどでもないというわけだ。しかし犬はそれが大事件になるか、小事件になるか、何でもないことか知らない。おおよそうちの犬は私と同じに臆病でこわくて鳴くのである。吠えるというのはお体裁で、声音から鳴く――泣くにひとしいときもある。
▽川柳作家が夜遅くわざわざ私の家に作品を届けに来るとき、これを見付けて路地でだしぬけに吠え立てられ、飛びあがつて驚く始末だ。そこであんなにあやしまれてはコケンにかかわるといつて、以後郵便で届け敬遠している作家もいるのである。わが愛犬も罪なことをするものだと思う。
▽しなの川柳社句会はわが家で開く。よく気のつく声楽家がいることを知つていて、吠え立てられてはたまらないと心配される向きを考えて、路地に「犬は奥に縛つてありますからご安心ください」と貼紙をしておく。それを見て安心し作句道場に赴くわがしなの川柳社のしおらしい同志を想像し給え。
▽私は夜遊びは滅多にしないが、たまに夜遅く帰つてくるともし犬が路地にいた場合、一応吠えてくれる。私と知つて、「やあこれはこれはご主人、ようこそ、声をはりあげてすみません」と、このとき女性らしく身をくねらすのである。一層可愛い。
▽一度で覚えられてしまつた顔、それには妙に吠えない。