三月

▽都会など今夜は何の会、明晩は何の吟社というごとく真面目に出席していれば毎晩のように川柳句会に顔を出さなければならない。そこへゆくと地方ではせい〲月に一回か二回だが、この一回か二回がなかなかの曲者で、コンデイシヨンが悪かつたり、スランプにおちいつたりしていると、つい出席を怠つてしまう。
▽しかし毎月の句会には判を押したように必ず出席しなければ気のすまない熱心な人もいて、これらの人たちには自然と頭がさがるのである。ちつとばかり皮肉を言われたり、からかわれたりして偶に出たりするとはやしたてられるがそこは好きもの同志で、決して怒りもしなければ、むしかえすような野暮なことはしない。そこがまたいいところである。
▽『川柳徳島』新年号の課題吟に「糞尿車」というのがあつた。私たちの生活と切つても切れないしろものを、現実的な視野に取扱つたもので、
 オツサンと呼ぶ糞尿車公務員
 よく磨き注連縄かけてある糞尿車
 ハイカーと同じ速度の糞尿車
 衛生舎て何やと賀状うら返し
などが目についた。不真面目に考えたりしてないのが好感をそゝるのである。
▽福島織部の著す「屁」李家正文が書いた「厠考」はなつかしい書物であるが、それになぞらえたわけではなかつたが、しなの川柳社では句会吟に「屁」と「糞」を取り挙げたことがあつた。ひとかどのベテランを自負している連中だから決してエヘラエヘラした着想のものは一句もなかつたことに驚きもせず、また物足りないとも思わなかつた。
 朝の屁が爽快に今日を儲け
 俗論にピリオドをうち屁一発
 金ゆすりに行く屁の倣然と落とし
 貧乏の放屁が誰はゞからず鳴る
 たけ〲しい屁の臭いをかがせ
 旅の糞まだ出ぬ思案はぐらかし
 花街の糞頬かむりして汲めり
 美しき嘘美しき糞と落ち
 人生の販路糞にもある魅力
にきらめく糞のかたまりを得た。
▽たゞおかしく面白くゲラゲラ笑うこともいゝが、こうして凝視をきびしくする基底が作家それぞれの心にあることは大切と思う。