九月

▽春と秋二回だけ数日を感動し合ふ。そこへゆくと人間なんかあさましいものだといふ。なんせ四季を通じて感動しつ放しだから。人間はこせ〱してゐるが、犬は天衣無縫、むしろ堂々たる風格があるなどと自分のことをほつと忘れてうそぶく。
▽うちにはめす犬がゐる。時到れば野郎どもが塀を乗り越え垣を噛み破いて恋の冒険にひしめく。朝早くも恋の鞘当てがあつたりしてなか〱お騒がしいことだ。どうやつて侵入したのかと不思議に思ふほどである。大阪の住吉人形に睦み犬といふのがあるが、その恰好に出会つたりすると、いつまでも見てゐていゝのか、早く追つ払ふのがよいのかと迷ふ。そんなことに躊躇するところナンカ思ひやりがありすぎてこりやしまつたと顔をあかくする。
▽非常にやさしい犬である。うちの者や顔馴染みの者には絶対噛みついたり吠えたりはしない。足音でもわかるだらうが、たまに下駄を靴に代へて歩いてくると、違つた人が来たと思つて吠えるが、姿を見て急に吠えるのをやめて尾を振り「間違つてすみません」といつた顔付きをして恐縮がる。
▽小さいときからの鎖につなげる習性がこびりついてゐて、放してやつてもその鎖のある場所に来せさて坐らせておくと、絶対に逃げることはしない。鎖のあるところではもうつないで貰ふものだと観念し頭を垂れてぢつとしてゐる。
▽そのやさしいのを利用して庭に捨てゝあつた大根おろしのすりがねを尻のあたりにくゝりつけてみた。勿論摺る方を表にしたわけだが、何をされても怒らない犬だからしほらしい。血気盛りの野郎が来てしたゝか悲鳴をあげる場面を想像しつい吹き出してしまつた。をかしさがこみあげたのだ。
▽平素のフエミニストにも似合はないと叱られさうだが、わが愛犬は実にやさしいが、現場でみた相手の犬にふて〲しさが気に喰はなかつた。よほどの追つ払ひかたでない限り、決して小走りに逃げ去る風は見せず、悠々と小憎らしいほどのおちつき振りなのだ。
▽思ひやうによればこのをすのおちつき振りに、うちの犬が惚れたといふことにもなりさうだ。