二月

▽ジヨルジユ・ルオーが二月十三日に八十七歳の高齢でパリーに死んだ。私はルオーの絵が好きで牽かれてゐたが、昭和二十八年十月二日に東京国立博物館表慶館でルオー展が開かれたときにみた。十月といふ月は美術シーズンでこのときも同じ上野の都美術館に一水会展があり、嘗て松本近くにゐた頃知遇を得た木村辰彦さんが東京から招待券を送つて呉れたのでこの一水会展もみることが出来た。石井柏亭、中村善策、奥田郁太郎、石井ゆたか、木村辰彦、井上武美、等々力巳吉、古市幸利、鳥羽宗雄、滝川太郎といつた知つてゐる面々の画の前では特に親しさを覚え、しばし立ちどまつた。
▽ルオー展をぐるりと一応みてからもう一回鑑賞しようと入口の方に廻つて来ると係の方から、「二時から大久保泰氏の解説がある」といふ触れがあつた。第一銀行に勤めながら絵画の勉強をしてをられる独立の大久保氏の解説にめぐり合ふことが出来たかと嬉しくなつた。その時間になると観覧者がぞろ〲と大久保氏のまはりに集つて耳を傾けた。
▽小さいときステンドグラス絵の見習工をやつたりして苦労したがルオーのあの太い線、強い色といふものは多分にこゝから影響があるさうだが、人物画が殆どで風景はあるが静物は少いやうである。人物画は娼婦とか道化師とか浮浪者、旅芸人で、最も多く取扱はれたのがキリストであつた。
▽私はこのルオー展で一番感銘の深かつたのは「郊外のキリスト」といふさびしい画であつた。十字架を目指して歩まねばならないキリストの孤独感が、月も道もしらじらとして限りない静けさのうちにあらはれてゐる。何かひき入れられるほどの沈潜した色調で、あくまで静寂である。きびしい宗教画の苦悩が見事に成り立つ。
▽カンバスを画架に掛けて描かずテーブルの上に平らに置いてルオーは画いた。あの厚つぽたい盛り上がつた油彩の重量感、額椽に入れて額椽のへりやその裏までなほ筆を揮つた制作意慾。ピカソの抽象的の静物画を見て「ピカソは有能な作家だ。しかしフランスの絵画を混乱に陥れたのもピカソだ」とルオーは強くいつたといふ。