八月

▽私はもう両親がない。母は昭和二十六年に喪ひ、父は昨年十二月に逝くなつてゐる。長い間自分を育ててくれた両親であつたことを、かうして中年になり沁みて考へるのである。父は八十二歳の高齢だつたから、もの惜しみするやうな気持はないのであるが、やつぱりその臨終といふものに深く感慨を覚えたことでもあつた。
▽人間はいつ生命をうしなふかわからない。わからないからふつと思ふと不安でたまらなくなるものである。仕事にかつけ、いそがしさにまぎれ、それを忘れてゐるからいいのだ。悟るとか悟らないとかではなしに、死を待つばかりの緊迫した境地にゐてはやりきれなからう。
▽死といふことに達観することはむづかしい。歯車の軋りのやうにギリギリと死はやつて来てゐる。それを忘れてしまつたのではないが、忘れ、或いはそれに触れぬやうにさへして、一日にかこつけた日を送る。
前田雀郎さんが題字の「生きて」といふ杉本ふみ子さん遺句集をいただいて繙いたとき、病人で悟つてそして自分のいのちの行方をみつめたその人の深い敬虔な心根がいたいたしくもあつたけれど、その人にとつては一生をかけがへのない道場として、限りなく生き盡し、限りなく自分をいとほしむ川柳を詠つて、充足したおほらかさはたとへやうもなかつた筈である。杉本ふみ子さんは若くて逝くなつた。惜しいと思ふ。私の父の生涯の長さの上にも、私には無駄のない記憶が残るのである。