七月

▽相変らず諷刺に富んだコントが新聞雑誌にちよつぴり辛子の利いたところを示してヤニ下つて居るが、戦争後解放された民衆の声なき声が凛々しくも強められたひとつのかたである。それは批判であり反撥でもあるがその意味で私たちの川柳とよく似て居るところがある。
▽古川柳の最も盛んであつた明和、安永、天明の頃、時を同じうして起つたいはゆる小咄のスタイルは簡潔であり警抜であつたが、そこには時代の姿としての粋といふ匂ひがこめられて居た。古川柳にもたしかに何かしら重からず軽からず独特の味がすつきりと流れて、人心を倦まさなかつた。共通するものは民衆の偽らぬ叫びであり溜息であつたり、人情の世界がそこに展開して居たとも言はれる。
▽今日では古い義理人情といふものを敬遠しがちだし、さういふ言葉さへ嫌はれさうである。ヒユーマニズムといふ言葉は、家庭的な狭つ苦しい枠から脱け出たもつと広く狭い世界を見出したい近代的な意義を持つ。だから川柳にしろコントにしろ、内容は勿論スタイルや味が古川柳や小咄と違つて来てゐる。
▽コントはあくまでトピツクをねらひ、川柳は個性的な主観的な方向に目指さうとする。しかし川柳は時事にやむにやまれぬ辛辣な創作意慾を燃やすこともあり得るし、またコントも現代人の性格などを綺麗に斬り下げて余さない。古川柳や小咄の頃の伝統精神を失つてはゐない筈である。たゞどちらも諷刺の今日的な目覚めを意識するらしい。