『川柳の話』、ブログでの紹介にあたって


 新たな記事として民郎著『川柳の話』をお贈りします。


 『川柳の話』は雑誌「川柳しなの」とは別個に、単独で発行された一冊の書物である。現在の文庫本サイズで、その造本はとても繊細に見えもし、軽やかでもあるような、ごくごく薄い本である。
 その内容を今回、全文掲出することにした。

 この本(というより、薄さから見てパンフレットと言うべきか)の発行は昭和二十二年である。戦争中発行が中断されていた「川柳しなの」はこの頃すでに復刊している。このブログは本来その「川柳しなの」の書誌情報を年代に忠実な形で再現するものであるため、この『川柳の話』も年代に忠実に再現してしまうと、「川柳しなの」の情報と重なって混乱を招きかねない。

 そういう理由もあり、この『川柳の話』の内容を、戦局押し迫ったこの昭和二十年八月に、一日一話形式で掲載することにした。「川柳しなの」の休刊は戦局の深刻化ゆえに迫られた不本意なものであっただろうことは想像に難くない。その無念の期間にこそあえてこの『川柳の話』を掲載させるのもあるいは意義がある選択かと目していただければ幸いである。

 実際、『川柳の話』で展開されている話とは、川柳の初学者向けの手ほどきの話ではあるのだが、戦争の記憶がいまだ鮮明でありつつも戦後の解放的な情勢にもあったこのタイミングで刊行された点から見て、民郎はこの書を以て新たな川柳の興隆を願った、簡便な川柳普及の書として世に問うたと見做すこともできよう。そう推定してみれば、それを戦火真っ只中の時期に民郎がひそかに構想していたかのように昭和二十年八月日付で掲載してみるのも一興かと思うがいかがであろうか。

 今回この『川柳の話』を掲出することにしたのも、民郎の基本的な川柳観がここに確認できるからである。
 「川柳しなの」に於いての民郎は、主宰選者・編集者の立場での文章がほとんどであり、川柳に関する評釈的・批評的発言を見つけるのが難しい。それを補う意味で掲載する側面もある。

 また、『川柳の話』が刊行された年、民郎は三十七歳。川柳の詩人(うたびと)として堅実かつ円熟のときを迎える年齢である。民郎の川柳観もこの頃には完成していたと考えてもよいだろう。基本的に本書は手ほどきの語りをとりながらも、ときに民郎は、川柳との真剣な対峙の姿勢ゆえに、思い切った断言・批判も為している。
 世情も変わり、また「うたびと」としてかつてなく充実した年齢にあった民郎だからこそ、普段の控えめな物腰からあえて一歩踏み込み、「川柳の話」をする。このタイミングだったからこそ可能にした、稀少な民郎の言行録でも本書はある。
  お楽しみいただければと思う。


  なお、今回の『川柳の話』全文掲載にあたって、民郎の親族からその了解を得ています。


追記

 『川柳の話』では、「川柳しなの」の書誌情報表記法とは形式を変え、本文のままの旧仮名づかい・漢字旧字体を採用した。

 この「川柳しなの」ブログそのものは、書誌情報のデータベースとして活用されることを前提としている。
 それゆえ、データベース内をキーワード検索で活用してもらうには、特に漢字の新字体旧字体が混在することは一括検索の総リストアップの完全性に支障を来す。
 そのため、昭和三十年代までの「川柳しなの」は旧仮名・旧字体が混在していたが旧字体に関しては新字体で一括入力してある。

 しかし今回のこの『川柳の話』は、一種の「おまけ」、「お楽しみ」、「余興」の面もあるので、検索の対象とは現時点では見做していない。ので、本文どおりの表記に従った。もちろん入手困難な本書の内容を多くの人に提供をするため、という真面目な側面もあるが、であればこそ、本文をなるべく忠実に再現することが肝要と考える。その点でも旧仮名・旧字体採用がふさわしいかと判断した。

 ただし、旧字体の「再現」は完璧ではない。
 今回、エディタファイルで採用される(入力できる)旧字体は再現するようにした。しかしワードなどのドキュメントファイルでは入力できるものの、エディタファイルでは文字化けしてしまう旧字がある。このタイプの旧字体に関しては、今回あえて再現しなかった。将来的なファイルの互換性を考慮しての措置である。ご一考願いたい。

 また、本文では「傍点」が振ってあるものは今回このブログで掲出するにあたっては「太字」表記にした。この点についてブログでの表記法の互換性に関する正確な知識が入力者になかったための暫定的な措置である。さらに同様の理由で、本文では「ふりがな」が振ってあるケースに関しては今回、「振仮名【ふりがな】」という形で処理した。ともに、ご寛如願いたい。